いじめを見ている君たちへ (2012/08/14)   第10回

今も昔も、いじめの話題で世間は賑わっています。

まだ将来に無限の可能性がある若者が、自らいのちを絶つという報道を耳にする度、胸が痛みます。

多くの人が、いじめにあっている人に、学校に行かなくてもいいんだよ、とか、

声をあげて大人に助けを求めて、等と訴えます。

確かにその通りですが、それが出来ないから、いじめられているのではないでしょうか。

声を上げればいいのに、その勇気が出ないボクが悪いんだ、いじめられるのは、勇気がないボクが原因なんだ、

と、かえって、いじめにあっている本人を追いつめないか心配になります。

私は、特に小中学生の場合、いじめにあっている方も、いじめている方も、心に闇を抱えていて、

抜け出したいのに抜け出せず、どうしようもない状態になってしまっているのではないかと思うのです。

やめたいのにやめられない、誰か気付いて止めて欲しい、とお互いが思っているような気がしてなりません。

そして周りにいて、見ているのに見ていないふりをしている、多くのクラスメートたちも,

同じように傷ついているように思います。

どうしよう、先生に言おうか、それとも、いじめっ子に意見しようか、それとも、いじめられている子に声をかけようか、

思い悩んだあげく、それでも、結局何も出来ない自分のふがいなさに密かに傷つiいているのではないでしょうか。

そしてもし、悲劇があった場合は、一生その傷を隠し持って生きていくことになります。

忘れようと思っても、ふっと何気ない時に思い出し、楽しかった学生生活の中で、ずっと黒いシミのように、

汚点として残り続けてしまいます。

いじめている方も、いじめられている方も、当事者たちが行動を起こすのは難しいかも知れません。

見て見ぬふりをしている方も声を上げるのは勇気がいります。

でも、見ている人たちは、たくさんの仲間がいます。

このままでいいのか、なにより、自分が将来後悔したくない、と思っている人はたくさんいるはずです。

思い切って自分の思いを、この人ならという友達に伝え、仲間と共に、先生でも、親でも、

誰かに声を上げて欲しいと思うのです。

きっと、そんな自分が好きになれるでしょう。

輝かしい学生生活に、なるべく汚点は残して欲しくないのです。

そして、いじめられている子にとっては、仲間が助けてくれたという、素晴らしいの思い出の1つになると思うのです。

もちろん、教師も、親も、子どもの異変に気付いてあげられるように、

常にしっかり子どもを見ていなければなりません。

しかし、大人が助けてくれるより、仲間が助けてくれるほうが、いじめられている子はどんなに嬉しいかと思うのです。

                              
       

NEXT                                 

BACK

HOME