永遠に正解は分からないけれど・・・ (2012/11/23) 第11回
我が家には15才になるミニチュアシュナウザーがいます。
名前はコロンです。
最近足腰が弱くなり、いつもよろよろしています。
年のせいか、病気もするようになりました。
一緒に寝ているのですが、夜中によろよろと立ち上がり、でもすぐ名前のようにコロンと転んでしまうので、
心配で目が覚めてしまいます。
「水が欲しいの?」、「オシッコ?」、「私の布団に入りたいの?」、「寒い?」
あれやこれや、やってみますが、正解は分かりません。
でも長年の付き合いで、なんとなくコロンの考えていることがわかります。
嬉しそうな表情をしてくれると、こちらも幸せな気持ちになります。
でもひょっとしたらコロンが私に気を遣ってくれているのかもしれません。
永遠に正解は分からないのです。
数学の美しさは、正解がたった一つにきれいに決まることにあると思います。
小学生の時は国語が大好きだった私は、中学生になって、つまずいてしまいました。
作者の心情は?という問いに、たった一つに決められないのでは、という思いが強かったのです。
今思えば、頑な過ぎたと思いますが、その頃の私は、数学の明快さに魅力を感じ、数学に夢中になりました。
今も数学の美しさに魅了されていますが、ただ、年を重ねてきて、
正解のないものを追い求めることも、素敵なことだと分かってきました。
世の中は正解のない、あるいは分からないものだらけです。
唯一数学だけが正解が一つに決まる世界なのかも知れません。
デジタル化された現代ですが、それでも、YESなのかNOなのか誰にも分からないことに、
私たちは日々向き合っています。
子どもたちは、授業で難しい問題に出会うと、すぐに正解や、やり方を教えて欲しいと言います。
分からない問題を自分でじっくり考えることに耐えられないのです。
すぐに、あるいは永遠に、正解が分からない問題に出会った時、
それでも自分でよく考え、自分で答えを出し、そしてそれを信じて突き進む、
そんな勇気と決断力が、これからの人間にとって大切なのではないでしょうか。
日々コロンと生活をしながら、夜中にふっとそんなことを考えました。